ご無沙汰しています。
残暑が厳しい季節ですが、いかがおすごしでしょうか。
先日本屋の一角で見つけた本で、面白い内容のものがありました。
その表紙はまず、誰がどう見ても可愛いといいたくなるような犬とか猫の写真でした。一見して、みんなが大好きな写真のようにも見えますが、本の中身はどうでしょうか。
通常、飼っている動物、例えばペットショップで買った10万円の犬とか、捨て猫で保護されていた飼い主募集の猫とかには私たちの姿はどう見えているんでしょうか。
しかし動物の視点で見た場合、私たちの本当の姿というのはむしろ動物をかわいがっているという理屈を盾にして、自分をかわいがっているかのようにも見えます。
家族の一員としてそういうステップを踏めば、発育段階で自分を可愛いと思うように他者を同じく労われるのだという屈折した論理で私たちは、自分より弱い(であろう)動物を飼います。
では、この屈折した自己愛という曲者は何を意味しているのでしょうか。
今、世界ではSNSを中心とした情報公開方法があふれかえっています。
一昔前では、自分で撮った写真とか、人前で歌った動画なんかが電波を通して世間に出回るなんて大事件でした。
電話とカメラがくっついただけでも事件ですが、さらにネット上で見知らぬ人々とつながり、世界中の人と交流があるということはもはや異次元でした。
これがパラダイムシフトを体験しているということですが、物質的に便利な世の中になったもんです。
そして、人々の中でも無意識的に拡がっていく思考というのが、話題になっています。
アメリカで、とても頭のいい大学生が開発したFacebookの本来の目的は、現CEOであるザッカーバーグ氏が動画でも説明している通り、「ゲームを意味のある物だと思わせる思考の育成」だといわれています。
これは簡単に言うと、ゲーム機にコインを入れるとしますよね。
すると、何かが中でウィーンとなってしばらくすると画面がキラキラして
ホワっとなった瞬間にガチャっと中にある物が出てきてうれしくなりますよね。
「また、やりたい・・・」
では
これを、スマートフォンに置き換えたらどうでしょう?
まずスマートフォンという重くてガラス製の画面のある手のひらサイズの電化製品を用意します。
そして、アプリケーションを無料でダウンロードします。
つぎに個人情報を記入してスタートを押す。
すると、中からポップなキャラクターたちが歓迎してくれます。
スタートガイドでステップを踏むと褒美をもらって、うれしくなります。
仲良しのキャラクターに愛着が出てくるでしょう。
さらに、そのキャラクターたちに友達を追加してほしいといわれます。
通知設定をしてほしいともいわれます。
いわれるがままに操作していくと、いよいよです。
なんと、自分の投稿に誰かが評価してくれているではないですか。
今まで誰かに評価されていなかったあなたは、誰かから評価の通知があると喜び、うれしくなります。
いいね!というボタンでの、他人への評価が単純に自分を評価するフォロワーにつながることをあなたは発見します。
見ていくと、先にやっている友達で、人気のあの人は20万にフォローされている。これはもう、寝る間を惜しみません。
さてどうでしょうか。
わかりやすい例を羅列したんですが、わかりやすく染まっている、というのがおわかりだと思いますがこの仕組みを紐解いていくと最初に言った、歪曲した自己愛の問題に突き当たります。
一般的にわたしたちの脳は、昼夜問わずフル稼働で不安を予知しています。
それは子孫が哺乳類で、生命の危機にいつも晒されていたからといわれています。これが、原始脳とも呼ばれる所以です。
その私たちの意識しない領域は脳内に電流が走ることを期待している、といわれています。つまり、不安を定期的に消せばまた次の不安が来るまでの暗い気持ちを制御できる、という「予定調和」への希望です。
わかりやすいのは、私たちはウイルスによって侵されるのは体の免疫力が弱っているせいだ、などといった思い込みとか話題から原因を究明した上で、じゃあ免疫力をつければいいのだという判断をして、安心したがる傾向があります。
この流れはメディアでは商業的に利用されています。
つまり、人間には無意識に自分を肯定的に生かそうとする自己愛があります。
ちなみに仏教では愛というのが煩悩の起源だとして完全否定していますが、欧米ではキリスト教による美徳の基盤となっています。
スマートフォンを開発したのは欧米人ですので、FacebookやTwittterといったSNSは商業ベースとなる顧客の心理を抜群に捉えています。
先ほども書きましたが、ザッカーバーグ氏は大学生でした。
大学中に仲間と会社を立ち上げ、一儲けしようとしたと自ら語っています。すべての国で使用されたわけですが、最も重要なことをコメントしています。それはいいね!機能の中毒性についてでした。
私はこれ以上は、この件について深堀りしませんが知りたい方は動画サイトなどでご覧ください。
無意識をコントロールされていることを陰謀論と呼びますが、私はそういうマスメディアにはいつも同じような感覚を覚えます。
ベンチャーの思考形態は似ているべきだ、というのが不思議です。
わたしたちの中で、誰がどうしたから自分に悪影響があるのだという思い込みは簡単ですが、もしそういう関りを自分で望むなら悪は自分の中にあるだけではないでしょうか。望む結果が、悪なのだから。
バカの壁で有名な養老先生いわく
「すべての生物は、地球誕生からの答えであり結果なのだ」といいます。
ウイルスにしても、現代人の解釈ではウイルスが原因だ、とするのが一般ですが養老先生の場合は違います。
人の体がウイルスにとって一番住みやすい環境を、人が作った結果なのだそうです。人が結果で、それをよく観察して抗体を見つけてほしいとの願いが込められているのでしょう。
さて、話は逸れましたが
現在、Twitterもそうですが人気の動画とか、プロのクリエイターの方々でフォロワー数や登録者数が何万、何千を超えているものというのはYoutubeやインスタグラムでも人数を買収しているのが当たり前だそうです。
先日、調べたところ100人のフォロワー数は
ヤフオクで1000円前後で買えるのを発見しました。
人それぞれだと思いますが、100人以上フォロワーがいるという人はまあざらにいますよね。
その登録者の数字は買っただけかもしれない、という事実が裏にあり普通のやり方を完全に侮辱している人なのだなとも思いました。
最近でも、一週間前は登録者数100人位で再生回数は100回程度だった某ユーチューバーの動画を昨日見たところ、一週間で10倍になっています。
身近にもこういうのはよくあります。
ちなみに買い取った人数というのは、APIというCPによる無差別な機械処理によって毎日10~100人を勝手に機械が仕事をしてフォローしてきてくれます。そりゃあ20万再生回数なんて楽勝です。
さらに調べると、20万再生回数の追加は
ヤフオクで15万円位から買えることを発見しました。
ヤフオクで検索をかけると、予測変換で出てくるのでやはり利用者は多いのだと思います。
しかし、Youtube一回再生で1円というルールを誰でもやれるかというと違います。
Youtubeの場合は、登録者数が1000人(だったかな)以上という最低ラインをクリアして初めて自分に広告をつけられるルールがあります。
スポンサーシップ契約で広告登録をしてYoutubeで稼ぐというのはいかにも現代っぽいですよね。
ただ、ご承知の通り世の中そんなに甘くはないです。
Youtubeで登録者数の買収、再生回数の買収が発覚した場合、そのアカウントは追放されます。ビデオも消えます。
また、アップデートがこまめにあるので、少し古いとAPIには対応できなくなり、10万円でもし人数を買ったとしても明日それがパアになる確率というのまでは計算できないらしいです。
まあ、私の立場ではなんともいえませんが
夢や希望を否定しませんので、みなさんにとって、損得を超えた計算をしてほしいと思います。
やはり、脳内をいいね!されていくと承認欲求がいいね!に変わっていくというのがわかります。都合がいいね!差別がいいね!←という風に
以上を踏まえてもう一回、よくないね!ボタンがないのはなぜなんでしょうか?
Youtubeを発信する側でやってる私は、あなたにおすすめの動画というものを進められて見た後に下らねえ、と思う方が多いです。
そんなときは評価せず、登録も間違って押したら解除しています。
BAD!のボタンを自分の動画に押すことはよくありますが、人の動画に評価できるほどの人物ではないし。
#ハッシュタグ、というのもわかります。
人を傷つけずに、自嘲的にタグをつけて自分を売り込もうとするのがハッシュタグです。
別にこれはこれでユーモアだともいますが、#エモい。というのはなんかよく言えば慈善的、悪く言えば偽善的にも見えます。
誰かからのフォローで人気者になるのと、自分をフォローして改造していくのとどっちがいいかではないでしょうか。
私が言えることは100人の友達がいても、1人の親友がいない、ということはざらにあるということです。
逆に、1人につながっている実感があれば10000人のフォロワーも1人と同じ質をもつだけで、実感の差がないということを経験から知っています。
今回のテーマをまとめると、そういうことになると思います。
能力と評価は、必ずしも一致しないのがこの世の中のルールですし、ピンポイントで宣伝していたらそういう評価以外は見えないでしょうから。
なのでわたしは今のところFacebookやTwitterなどSNSを利用せずに気ままにやっています。
曲を気に入って、買ってまで聞いてくれる人は本当に好きで買ってくれている、応援者なのだなと思えてきます。
ではまた次回。
ありがとうございました。
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