銀と藍染について

 

ヨーロッパでCOVID-19が再び感染拡大というのを聞きました。

 

フランスでは二度目の、外出禁止条例が発令されたということですので、やはり欧米型のコロナウイルスは冬の乾燥期ウイルス増殖を警戒している模様です。

 

日本では来週が立冬です。

吐く息は白くなり、夜のお出かけはあったかい冬のコートです。

 

北海道などの豪雪地帯の今年の冬は、雪虫が多いので大雪だそうです。

雪のない豪雪地帯など、見たくはないですがやはり雪はないに越したことはないので、天気は自然にお任せします。

 

 

さて、今回はタイトルを銀と藍染についてとしました。

 

理由は、私が普段身に着けている銀の装飾品は、銀粘土を造形して焼成したハンドメイドの一点物の銀細工だからです。

昔の話ですが、今までにかなりの銀細工を買ってきました。形状とか、重さとか、ブランドによってどう違うとかが好きで、原宿とかは勿論地方にあるショップなどでも探して両手の指につけたり、首につけたりしていました。ですが、ある時気が付きました。

 

こういうデザインにしたい、とか、こういう風合いがいいというのは、与えられている品物を買うだけでは得られないな、と。

 

銀細工という「無駄の極み」は、絶対に自分のためのものではありません。多分、それを付けていることで失う何かがあるのも事実です。

ある意味、粘土から造形して焼成した「失敗作」は自分を形作ってくれる宝物に近い気がします。

 

あまりいい表現が見つかりませんでしたが、ハンドメイドは良いものです。

 

 

藍染についてもそうです。

種を数百粒撒いて、半年後に4回収穫します。4回藍を使って衣類を青く染めます。これは単に、自分の色落ちした衣類を再び染めるためのものではないというのがわかります。

 

この前、全ての藍染が終わり、青く染まった衣類を見て気づきました。

 

何で買ってきた青い服を着るより、わざわざ藍染をして着る方を選ぶんだろう、と。それで銀細工にも言えることが、藍染にも言えるということがわかりました。

 

デザインとか、風合いを「失敗作」が教えてくれるのが、楽しいからなんだな、と。

 

市販のものは良いですが、最新の失敗作は売ってないですからね。

 

なんか、なんとなくそういう不完全の造形美みたいのを昔から探している自分がいることを私は気にしています。

 

バイオリンを作った時、その塗装をアルコールニスで紅葉の赤から抽出して木に塗ったりするとその音が微妙に違うような気がしていたこともありました。多分、違うのでしょうけれどバイオリンの音を決めるのは弦と弓の良し悪しによることが99%ですから、どうともいえません。

 

 

それに昔から私はマイペースが崩れないらしく、学校でも大体教室の移動とかでも最後の人でしたし、給食とかも安定の最後で、他の人の食べ残しなども確実に片付けていました。放課後も部活を終えて閉門の最後まで残るのがルーティンで、先生とか変わった人たちのいる時間とタイミングが同じだった気がします。その仲間との会話は、学生らしくなくて楽しい時間でした。黒歴史という言葉とは明るさが違う気もします。

 

わたしたちはみんな違う、ということですよね。

 

何が違うかというと、生まれ持ったタイミングとか時間の流れ方が違う。

 

10代で亡くなった友人もいます。それぞれのタイミングで生まれているとしか思えないですし、時間の流れ方が人によって全く違うというのがわかります。

 

逆に、波長が合う、妙な関係というのもそれだと思います。

 

 

それは同い年でも、幼馴染でもなんでもそうですが、双子の兄弟だとしても、まったく違う時間の流れの中を生きている気がしています。

 

時間の流れを挙げたので、アインシュタインの相対性理論のことを書きます。

 

アインシュタインが考えたのは、嫌なことをしてると時間が進むのが遅い。逆に、好きなことをしてるとあっという間に一日が過ぎる。ということがすべての人の中で起きていることがわかったそうです。

 

 

光陰矢の如し、といいます。

 

印象派の絵画では、光は描けません。

 

光を放つ矢を射るには、濃い陰を描いて光を見せるしかありません。

 

 

人間のもつ「時間の流れ」を、光のごとく感じるには。

 

社会が世の中がすべてが陰のように暗くて闇の中を行くものだという認識から、まず考えてみるほうが良いような気がしています。

 

 

一般的なネガティブなアプローチです。

 

 

ですが、なぜこのような認識をネガティブとポジティブの二極化で分けることができるのかは、前のブログにも書きましたがやはり人は白黒つけたい生き物だからなのでしょう。

 

 

ネガティブといえば、ハロウィンです。

キリスト教では、10月31日はこの世に悪が満ち溢れて収拾がつかなくなる日、とされています。

 

ケルトの精霊、ジャックオーランタンが死者の霊魂を持ち歩いて彷徨う、ともいわれています。(オランウータンではない)

 

 

魔界から降り注いだ悪が、この世に充満する日

 

翌日11月1日には、せっかく降臨したすべての悪魔が(キリスト教の聖人の力で)消滅するとされているので、その一晩だけを一年で最も凶悪な日として警戒したのでしょう。また、ケルトを支配したキリスト教の力の偉大さ、というのも大いに宣伝しているようです。

 

 

カボチャの色はオレンジですが、オレンジは太陽の象徴でもあります。

 

一年で日が短くて暗くなる時期にさしかかるのが、ちょうど10月31日くらいで、生命の親である太陽の力が弱まるからです。

 

 

ともし火を灯せば、31日の満月は無事に過ごせるでしょう。

 

 

 

ありがとうございました。