ハレルヤとムーの世界について

 

 

このブログでも、聖書をよくとりあげていますが、洋楽の歌詞を深読みすると、そこには大体聖書の内容が絡んできます。

 

Leonard Cohenの描いた曲「ハレルヤ」の歌詞の意味について、すごくキリスト教的な内容だったのでカバーした後に調べました。

 

その歌詞を今回、転載します。

 

I heard there was a secret chord

that David played and it pleased the Lord

But you don't really care for music do you

Well it goes like this:

The forth, the fifth, the minor fall and the major lift

The baffled king composing Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

 

ぼくはきいたことがある

ダビデが主を喜ばせた秘密の和音があると

でもあなたはほんとうは音楽を好んではいないんだろ?

そう、それはこんな風に進んでいく

第四音、第五音、短調が終わり長調が現れる

ハレルヤを紡ぐ困惑した王

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

レンブラント作

「サウル王の前で竪琴を弾くダビデ」

 

この楽曲を理解するためには、旧約聖書に関する基礎的な知識がないといけない。

古代イスラエル王国二代目の王であるダビデは竪琴の名手だった。旧約聖書には先代の王サウルが悪霊に悩まされているときも、彼の竪琴が王の症状を和らげたことが記されており、はじめの二つの行はその事実を背景として描かれている。

「ハレルヤ」という語自体がダビデが記した「詩篇」のなかで初出した語であり、ヘブライ語で「神を賛美せよ」を意味する。この詩全体が「詩篇」を模した構成になっていることもすぐに気づくだろう。

挿入句的な次の行において、"you"は、動詞が現在形であることを考えると、ダビデではありえない。つまり"you"は「主(しゅ)」、つまり神だろうと推測される。

ここからは歌い手の個人的かつ、いささか不遜な態度が読み取れる。

そして次の行ではまたダビデの楽曲の話題に戻る。

"the forth" "the fifth" "the minor" "the major" はすべて音楽用語であり、それぞれ「(音階における)第四音」「第五音」「短調」「長調」を意味している。

短調とはマイナースケールと呼ばれ一般に暗い調子を持つ音階であり、長調とはメジャースケールであり、その反対に明るい調子を持つ音階だ。

最後の行の「困惑した」の具体的内容は次のヴァースで語られることになる。ここではあえて完全な文にせず、動名詞を用いながら時制を打ち消して、臨場感を感じさせている点にも注目してほしい。

 

 

Well your faith was strong but you needed proof

You saw her bathing on the roof

Her beauty and the moonlight overthrew you

And she tied you to her kitchen chair

She broke your throne and she cut your hair

And from your lips she drew the Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

 

あなたの信仰は厚いけれどそれを示さなければいけなかった

あなたは彼女が屋上で水浴びをしているのを見つけた

彼女の美しさが月光とともにあなたの心を掻き乱した

そして彼女はあなたを椅子にしばりつけ

あなたの王権を打ち砕き、髪を切り落とした

そしてあなたの唇からハレルヤを紡ぎださせた

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

ウィレム・ドロステ作

「ダビデからの手紙を受け取るバト・シェバ」

 

ダビデ王はその治世中、自分の部下であるウリヤの妻であるバト・シェバを見初めてしまい、彼女と関係をもってしまう。

そのために彼はてひどいしっぺ返しを食らうことになるが、このヴァースの初めの部分はそのことについて語っている。

狂気(lunacy)の語が指し示すように、西洋では月の光が狂気をもたらすという伝承があり、それが三行目の歌詞に反映されている。

 

ギュスターヴ・ドレ作

「ダゴンの神殿でのサムソン」

 

さて、ここまではダビデ王にまつわる逸話で歌詞を読解することができたが、ここからは別のストーリーが挿入されていることに気づいただろうか?かの有名な「サムソンとデリラ」である。ナジル人であったサムソンは神から驚異的な怪力を授かり、「士師」としてイスラエル全体の指導者であったが、決して髪の毛を切ってはいけないと厳命されていた。

ところがサムソンは娼婦デリラに入れあげてしまい、ペリシテ人の策略により眠っている間に髪の毛を切られてしまう。ここで盲目的な劣情に溺れていくふたりの男の姿が重ねられている。ペリシテ人に捕らえられたサムソンは目をえぐられ、牢につながれる。そしてある日、ペリシテ人たちが彼らの神ダゴンへ勝利の祝いを行っているとき、神に祈り、その怪力を取り戻し、建物を崩壊させペリシテ人もろとも圧死する。最後の行はそんな姿を想像させてくれる。

 

Baby, I've been here before

I've seen this room and I've walked this floor

You know, I used to live alone before I knew you

And I've seen your flag on the marble arch

And love is not a victory march

It's a cold and it's a broken Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

 

ベイビー、ぼくは以前ここにいたんだ

この部屋を見たことがあるし、この床を歩いたこともある

知っているだろう、ぼくはきみと知り合う前は一人で生きていたんだ

そしてぼくはマーブルアーチの上のきみの旗を見た

愛は凱旋パレードじゃないんだ

これは冷たく、壊れたハレルヤなんだ

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

これまでのヴァースが歴史上のストーリーを語ったものだったのに対して、ここからは歌い手自身のストーリーが展開されていく。歌い手のいる「ここ」には、以前にもいたことがある「ここ」であり、それ以降の文から歌い手は現在恋人と離れ孤独な状態にあることがわかる。

4行目のマーブルアーチとはロンドンのハイドパークにある凱旋門のことだが、女性器を指す古いスラングでもある。"flag"には旗という意味のほかに、「ブラシなのどの毛先」という意味もあるので、この文は性的な暗喩であると解釈される。そして愛とは凱旋パレードのように「華々しい」ものではなく、「冷たく」「壊れた」ハレルヤだと語られる。

 

Well there was a time when you let me know

What's really going on below

But now you never show you that to me do you

But remember when I moved in you

And holy dove was moving too

And every breath we drew was hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

 

昔ぼくに教えてくれたことがあったね

一体何が起きているのかを

でも今ではぼくに何も見せてくれないんだね

でも思い出して欲しい、ぼくがきみと同居しはじめた頃を

聖霊が消えてしまった時を

ぼくらの呼吸ひとつひとつがハレルヤだった時を

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

ここで歌詞は、"you"に「恋人」と「主」の二重の意味がかかる状態になる。かつて何でも話してくれた恋人が、今では疎遠になってしまい、以前のことを思い出して欲しいと捉えることも可能であり、一方で神から見放され、聖霊が消えてしまい、預言の下されなくなった王の姿を描き出していると解釈することもできる。

 

Maby there's a god above

But all I've ever learn from love

was how to shoot somebody who outdrew you

And it's not a cry that you hear at night

It's not somebody who's seen the light

It's a cold and it's a broken hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

 

恐らく神はぼくらの上にいるのだろう

でもぼくが愛から学んだことは

きみより早く拳銃を抜くやつを撃つことだけ

そしてきみは夜に叫び声を聴いたりはしない

それは光を見た人間ではない

それは冷たく、壊れたハレルヤなんだ

はじめの行にある「神」"a god"が"the god"でないということが、第一ヴァースの"you don't really care~"における醒めた視線と共通している。

「神は愛なり」の言葉からわかるようにキリスト教における神は愛と同義語である。しかし「ぼく」が愛から学んだことは「きみ」を守るために、敵を撃つことだった。そして「ぼく」は「光をみる」=「希望を見出」してはいない。

なぜなら「きみ」が耳にするのは冷たく、壊れたハレルヤなのだから。

 

 

 

 

 

以上が、転載した記事です。

 

 

 

やはりこの曲は、海外ドラマなどではよく流れるので、日本でいうところの古代史を含む曲、例えばぱっと思いつかないですが。。

 

 

 

旧約聖書の内容なので、古典を現代風に取り入れているゴスペルだということがわかります。

 

 

どにかく世界を創った神々に比べるまでもなく、人々というのはちっぽけで絶望的で、悲しみと、閉塞感に満ちているというのが旧約聖書の世界の特徴です。

 

 

ヨハネの黙示録、詩編、~の伝道書といったものが、創造の神話と神々との契約を連携させて書いてあります。

 

 

なぜ旧約なのかというと、旧(今までの)約(約束)だから。

 

この場合、約束というのは創造した神々と人との約束になります。

 

 

日本でいう、日本神話、古事記、辺りが近いといいます。

ですが日本の神々は、人々へと形態変化(変態)していって今の日本人というセム人種ができたとあるだけで、神々とは契約をしていません。

 

 

日本人のルーツは大陸を渡ってきたイエスの12使徒の一人、バビロンの末裔でユダヤの王家の血を引く、というのが日ユ同祖論といい、都市伝説として有名ですが、ここでは掘り下げんせんので詳しくは月刊ムーの世界をご覧ください。笑

 

 

 

さて話がそれましたが

 

 

このハレルヤという曲については様々な解釈を当てはめていいと思います。

 

私自身も、作曲者が個人的な経験を歌っている曲だと思っていたので、旧約聖書が絡むと思いませんでした。やはり名曲というのは、個人がそれぞれ自由に共感できる内容なのだと思います。

 

 

コーエンさんは2016年に死去。

確かボブディランさんがカバーしています。他にも、カバーしたのはジェフバックリーさん。彼は親がミュージシャンだったと思いますが、やはりバックリーさん自身も若くして亡くなります。R.I.P.

 

 

 

この曲のように、聖書を通して独特の英語の表現や、洋楽の表現しているものの背景が見えてきました。

 

 

少なくとも西欧は聖書の影響を受けて育っていますし、教会などの建築物に囲まれているわけですから、芸術と教育と聖書が三位一体で連携しているのがわかります。

 

 

 

この間、レオナルドダヴィンチの本を読んだんですが、モナ・リザや最後の晩餐などを表現する上で、彼が最も意識の中に持っていたもの、それは自然描写でした。

 

 

自然というのは、偶然そうなっている、偶然今の形になっているから、それ以上突き詰めて考える必要はない、というのが一般論です。

 

 

ですが、ダヴィンチの考えでは、逆です。

 

 

 

今ある状態、今ある形、というのが必然的にできた進化の結果なのだから、自分の目で一回それらを疑って、分析し、起源を見つける必要がある、という考え方でした。

 

 

科学する心には、必然しかありません。

 

 

ダヴィンチの功績は、キリスト教文化がそのまま科学へとつながる文化なのだということを、後世に残しました。

 

 

生物の進化なら、ダーウィンの進化論に。

時間軸なら、アインシュタインの相対性理論へと間接的に引き継ぎました。

 

 

中でも印象的な言葉がありました。

 

 

虹は、雨と、太陽と、人の目からできている

 

 

 

この表現は好きでした。

人の目というところがポイントで、光の色というのを解明したダヴィンチらしい言葉です。

 

 

人の目というのは、人の認識とも言い換えられます。

 

目で見ているものがつまり虹色なのは、虹色というのを認識している私たちの目の情報を、神経を伝ってスクリーンとして脳が見せているからです。

 

 

 

他にも山ほどダヴィンチの言葉が残っているので、気になる方は是非ご覧になってください。

 

 

 

そういえば今度、アメリカの火星探査機が火星での生物探査に乗り出しました。

 

 

すごく気になるのは、火星の上にいる探査機が、ホロスコープ上で火星を見たときに個人に影響を与えるのではないかという点です。

 

 

火星の軌道には現在、中国の火星探査機が何台かあるそうです。

 

私たちが地球で受けている火星からの影響は、こういった地球由来の機械によって多少変わるかもしれません。

 

 

 

 

 

偶然が存在しない世界で、火星にもしタコがいたら、探査機はやはり人工知能なので、地球人のために撃ち落として丸焼きにし、地球にテイクアウトするのではないでしょうか。

 

 

なんてのは妄想です。

 

 

 

今回は科学についてのコラムでした。

 

 

 

ありがとうございました。