ザビエルとラッパについて

 

 

 

秋です。

 

 

寒くなってきました。コタツが恋しい季節です。

 

 

 

※科学系、理系の内容に偏りすぎないように、と

 

文系のブログを書こうと思ったのですが、テーマがオカルトになってしまいました。

 

おひまであればお付き合いください。

 

 

 

今回は、オカルトの視点で見た音楽について

 

 

思ったことがあったので今回はそれを書こうと思います

 

 

 

 

皆さんが想像している音楽って、なんでしょうか。

 

リズムでしょうか。メロディーでしょうか。歌詞ですか。

 

 

 

私たちがいうところの音楽、それは外国製のものです。

 

 

 

 

特に、私たちが普段聞いているものはジャズとかポップスで

 

まず誰かが楽器を使って作曲しています。

 

 

パソコンで作曲するのも、楽器といえば楽器です。

 

 

でも、ほとんどの音楽はピアノで作曲されたもの.。

 

 

 

音律がある楽器での作曲は100%外国製のものだと思います。

 

 

 

というのは、アジア圏での音楽というのは、音律不規則であまり変調しないものでしたから

 

うぃーん、とか、どんどこどーんとか、ぎゃーんとか

 

中国の1コードのペンペン鳴らす琵琶とか、三味線みたいな沖縄のシャーマン的な楽器がはじまりといわれています。

 

 

 

 

アフリカや民族音楽を聴くとわかりますが

 

シャーマニズムはほとんどが打楽器です。

 

ウポポイ、ウチュナー、アイヤイヤーです。謎

 

 

 

 

音の響きを利用して、神々と対話するのが目的ですから別に和音とかコードとか、変調はいりません。

 

 

ピアノという絶対音感的なものができてから、キリスト教会がオルガンみたいなものを制作して

 

以降音楽というのは、どっちかというと商業的なものになりました。

 

 

バッハとかは代表的です。

 

 

彼は教会の専属の演奏家でしたので、キリスト教の世界を広めるための作曲法で、あらゆる業績を成し遂げたといえます。

 

彼にとっては、キリスト教の神を崇めるための音楽でしたから、コード進行が複雑になります。沢山の変調をして、最終的には沢山の楽器を使ってオーケストラで演奏します。

 

 

 

という風に考えると、アジアの音楽と諸外国の音楽は180度性質が違うというのがわかると思います。

 

 

 

私にとっても音楽は言語と同じです。

 

 

ギター弾き語りできるよって言われて

 

 

昔、友達に言ったんですが

 

 

 

「あんさんそれ他国の言語やんけ」って感じで

 

覚えたてのコードで、エレキをペキペキと忙しくピックで鳴らす素人の高校生が、煙たいライブハウスで金をとるのをわざわざ見に行く気はありませんでした。

 

 

 

音楽って、私の場合「物心つく前から音大予備軍のエリートコースを行く子供たちにとっての、コミュニケーションツール」だと気づくまでの間は、外国のもの。そしてそれがたまたま楽器だった気がします。

 

今の子なら、ダンス、スケボー、スノボー、バスケ、サッカー、野球、卓球、バレー、水泳、格闘技、といったもの。

 

 外国で演奏したことがありますが、言葉より伝わっているのが音楽だということがわかりました。

 

そういう意味で私は

 

あくまで外国人に通じたときだけ実感があるのが楽器。

 

楽器=言語=手段=思考。

 

 

なので歌やギターは別に重要視していないように思います。

 

その証拠に、私のサブチャンネルが、ああいう練習一発録りの発信の場所になっているんじゃないかなと。

 

ギターは基本的にゆるいですから。

 

 

でもやはり、言葉じゃないものを外国人と共感できるってすごすぎると思いませんか?

 

 

 

ある演奏家の方もおっしゃっていたんですが

 

 

 

日本語が日本人に通じないというカルチャーショック。

そのストレスから解放される気がする。

 

 

日本語は特殊な言語ですから、日本人にとっての音楽は、カルチャーショックを和らげるものとしての役目がありそうです。

 

 

 

 

けど国境を越えて、生物丸ごと超えて例えばねこにも、鳥にも、UFOにも通じるのがプログレッシブな発想だと思いますが、オカルト愛好家の皆さんはいかがでしょうか。

 

 

 日本語は、通じていますか?

 

 

 

 

さて

 

 

ここからは、池上彰がお送りする(謎)広義な言葉の意義をぐっと絞って、西欧の思想について。

 

 

 

音楽を見ていくとき、必ず通るのがキリスト教的な音楽史になります。

 

 

 

音楽が発展してきて、船で宣教できるようになると彼らは大陸を横断してまで「福音」を知らせに来ます。

 

 

 

「福音」というのは、「権利証明書」みたいなものをいいます。

 

 

「あなたは当選しました。開封してください」というのが福音です。

 

 

 

なんかどっかできいたことのある詐欺の文句です。

 

うっせえわと思ってしまうのが自然な日本人の思想です。

 

 

そう、ラッパだのなんだの金ぴかのバンドでうっせぇのが来ます。

 

 

はて、どこの異人さんやろ。

 

 

 

船で港にたどり着いたザビエルなんかは、それはそれは苦労したといわれています。

 

 

ザビエルの苦労については、Youtubeなどでも詳しく見れます。

 

 

 

多くのヨーロッパ人が目指したのは極めて遠い東の最果てにある国、ジパングです。

 

 

 

そして、金銀の山があって彼らなりには福音を成功したと解釈します。

 

 

極東の地で、福音を成功したぞ、というのがわかるのがいわゆる「グランドリエント」系列のフリーメイソンの博物館にあります。

 

 

知りたい方は、是非ともお近くのフリーメイソンにお立ち寄りください。

 

どこにあるんや。笑

 

 

 

 

 

私が行った時は、「日本人ですよ」というと黒スーツの方々がわんさか出てきて、親切に案内してくれました。「いつまで滞在しているのか、これからどこに行くのか」、など日本人には気さくに英語で話してくれます。他の外国人の方には悪いですが、待遇が全く違います。そのくらい、彼らにとって日本というのは貴重な歴史的な国というのがわかります。

 

 

フリーメイソンというのは「石工」を意味しますから、今年の東京オリンピックでやったように、「大工の組合」が日本ではそれにあたります。

大工組合はインフラですので、なんと職業ピラミッドの頂点に当たります。

 

ちなみに森の生物のピラミッドでは、タカやワシ、フクロウなどの猛禽類がトップになります。

 

海の生物のピラミッドもありますが、ヒトの職業のピラミッドなんて考えた人は多分、西欧のエリートじゃないでしょうかね。悪趣味すぎます。

 

 

インドはいまだにカースト制度をとって、うまく差別して政治を行っていますから、職業カーストというのはインド人にとって常識だそうです。

 

 

そういう相関図も確か、フリーメイソンの博物館にあるので、暇があればご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

 

 という、西欧の人間性悪説を採用しているわけですが。

 

 

話は逸れましたが、西欧にとって極東の日本には近代文化の「集大成」があるといわれています。JPOP、ロック、なんでもいいんですが、現代の世界の音楽のインフルエンサーは間違いなく日本ということになっているようです。

 

 

 

ショパンコンクールで、この間も日本人が準優勝でした。

おめでとう。

 

 

世界では、楽譜通りに弾くと2位だそうです。

 

 

 

審査基準はわかりませんが、世界一を決めるっていう大会で「外国製のもの」を私たちは輸入して使っているから、1位じゃないよということでしょう。

 

 

 世界一を決めたい。うーん

 

例えば音楽で優勝したい、とか

 

音楽で名誉を求めたい、というなら

 

本来のその国のルーツを使って、お家芸として勝つしかないでしょう。

柔道みたいに格闘技は道具は使いませんので、もっと次元の高いレベルでの競争が出来るでしょう。対する、諸外国は容赦しません。

 

なげたるでえ。ええやろ。

 

 

どの道も、道具に凝ると弱くなるといいます。

 

 

柔道は柔道着を時々洗濯しないとくさいので洗う。くらいなもんで、道具は実力とあまり関係ない、というのがわかると思います。

 

 

でもって、常にベルト防衛の構えで練習できるというのもいいですね。

 

 

 

 あと剣道着も、あれは藍染ですから、洗わないとくさい。

 

 

クサイといえばギリシャ数字ですが、コロナウイルスが一体どこまで変異するのか、しないのか。まあいいや

 

 

ちなみに私はカンフーは好きですが、空手は好みません。

キックやムエタイはジムに通っていたので感覚がわかります。

 

空手には無数のフォームがあり、そのフォームの美しさを競うのが空手ですから、本来は平和です。

 

ですが、大会だと組み手で競う部門もあります。

 

 

 

ベジータァ、オラとかたをつけようじゃねえか。

 

 

そう。ドラゴンボールのイメージです。

 

どのスポーツでも、近年は見栄えとか、観客を意識しているのでじゃんじゃんルールが変わっていってます。

 

 

空手が組み手になってしまった時点でもう平和な格闘技の本質を見失っています。

 

見えていない敵が他にいるような気もします。

 

 

あと卓球も、近年では見栄えをよくするためにボールのサイズをかなり大きくしました。

 

ウズラの卵じゃ、見えへんで。

 

そや、ニワトリの卵やー。

 

大げさに言えば、そのくらいのアップデートでした。

 

 

 

 

 

さて

 

 

フォームの話をしましたが

 アジア人なら道具がシャーマニズムであるべきです。

 

 

ですから音の良しあしとか、コード進行とかは別の話です。

 

 

日本は外国に比べると、古い木が山ほどあるといわれています。

 

これは北欧のような森林面積が国の8割というようなレベルではありません。そのくらい日本の保有林は豊か。

 

 

私は林業ではありませんが、住居やインフラを作るために木を伐採するより、楽器とか額縁とか、文化面に使う方が未来があるのではないかと思っています。

 

投資というより、投機の話。

 

 

しっかりとした未来を見据えて、アジアの音楽を「外国製のもの」にしないように線を引かないといけないのではないか、と思いました。

 

どこかの大統領ではないですが、常識としての反応。

 

 別に危機感を煽って陰謀論でどうのではありませんが。

 

 

 

結局、時代はSDG'Sで、量産型の粗悪品はどんどん肩身が狭くなっていきます。

 

アメリカのギター老舗、ギブソンは何年か前に終わりました。

 

あれだけの企業が、売れないからつぶれる。

 

 

そう、リサイクルショップをみてください。

量産型、というのが商業的なもの、つまり電気楽器を想定しているというのがよくわかります。

 

 

電気を使ってください、という流れでした。

 

じゃんじゃん、ばりばりエレキやって下さい。

 

今はどうでしょうか。

 

 

石炭で電気を作る国の化石燃料抗争は、もはや死語です。

 

 

 

という流れのお話。

 

 

電気音楽を、果たしてどう位置付けていくのか。

 

 

エレキ愛好家のみなさん、教えてください。

 

 

 

今回は、そんなオカルトコラムでした。

 

 

 

ありがとうございました。