アフタータロットという、ライダーウェイト版の「その後」を描いているタロットデッキが面白かったので載せました。
0.愚者をみて思うのは、「まず、愚者になれ」
ということです。
すべての物語の始まりというのは、期待も不安も、恐怖もあります。
でも、心理学でも「恐怖と付き合う」ことが重要視されているように、恐怖とか不安とかがあるから、人は他力本願になってジンクスを求め、タロットカードに答えを求めようとします。
変なものを売りつける詐欺師が減らない理由がここにあります。
買うことで気づかぬうちに巻き込まれて、悪人の闇の商売に加担することで、悪人の生活を支えていることになります。
愚かさ、というのはこのように崖の上のようなものです。
タロットを広めたとあるアメリカの有名な占い師さんは、業界を引退したあとはすべてのタロットやスピリチュアル、ニューエイジをオカルトだと否定しました。
スピリチュアルブームは同時に、ニューエイジャーをやめる、という流れも含みます。
何かを買うというのは、売買契約をするということでもあります。
選択する自由の裏には、どこにでもあなたのお金が知らぬ間に、どこかへ流れてしまうという不自由さがあります。
お金はあなたのもとにいる時だけ、あなたのものです。
実は、お金を払ったって、本当はあなたのものになんかなりません。
お金じゃなくても、お金を払って得たものは一時的にはあなたのものとして認められます。
この辺りは、前のブログでも「海王星時代」のキーワードとして取り上げました。
まずは愚かであれ。愚か者にしか、夢は見れません。
アントニオ猪木氏の言葉を借りれば、
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ。
危ぶめば道は無し。」
「迷わず行けよ。行けばわかるさ。」
1.2.3.ダァー!
タロットもそうですが、全ての道のはじまりには、人智を超えた存在の導きがあります。
小賢しく考えよう、手堅く守ろう、、、失敗しないように。
こういうのを考えてやっているうちは、先に待っているものを予測できているようでいて、全く予想できていないまま不完全燃焼に終わります。
小賢しい思考をやめ、無我になることが第一。
そのときもう、崖の下のポニョに落ちているのかもしれません。
ですが、この絵の愚者は落下しているにもかかわらず、全てを楽しんでいるようです。
多分、崖の下に落ちても死なないということを知っているのかもしれませんし、下手したら骨折とかじゃすまない、後遺症で生き残る恐怖を感じていないだけの、痛みを知らない愚か者なのかもしれません。
でも、大きな存在や、神様といった存在から見たらこういう姿勢の人こそを本物の人間だ、というでしょう。
考えようです。
全てものは、考えようです。
私なら、恐い。笑。
でも恐いもの見たさ、というのはいつもあります。
飛行機に乗らなきゃ、目的地に着かないですし。
海に入んなきゃ、夏を楽しめませんし。
そうです
いつになっても、青臭いままの私がいます。
人間的とはなにか、とAI時代に誰もが考えます。
将来は介護ロボットとか、ナースロボとかいるでしょう。
マザーテレサは貧困地帯から難病患者をなくそうとしました。
それは彼女の情熱のほうが、恐怖より上だったからです。
人を介護するとき、人の痛みなんか、知らないほうが良いでしょう。
いのちといかに向き合っているのか。
そんなのは知りません。
今恐怖に負けてる人は、幸せです。いつか勝つから。
ただ私が与えられるものを、与えていくだけです。
恐いもの見たさが、いつだって愚者である私の原動力です。
承認されること、評価されることなんか私にとってはやはり昔からどうでもいいことです。
なのに、やっていた結果、1位になったとか。そういうこともあるんだなあと、この頃思いました。
ありがとうございました。
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