ジミとヘンについて

 

 

立秋です。

 

台風と、夜の涼しさが秋らしくなってきます。

 

とはいえ、日中は猛暑です。

 

 

着るもので調節します。

 

 

着るものといえば、断捨離です。

 

 

要らないものをすてるのは、気分もいいですし

 

フリマアプリという便利な機能もあります。

 

配送業者さんに感謝です。

 

 

 

みなさんは、要らないと要るものはどうやって分けていますか?

 

 

仕分けの極意というか、理屈はあるらしく

 

この辺は、ミニマリズムになってくるんですが

 

 

 

そもそもなぜミニマリストが流行っているのか

 

 

 

流行っているのか、いないのか

 

 

 

昔からあるものの考え方のひとつだと思います。

 

 

 

それで、なぜ私はミニマリストなのか

 

 

 

と聞かれました。

 

 

 

私はその時は、なんとなく理由を言っていたと思います。

 

 

 

一回瞑想して考えました。

 

 

 

多分、ミニマリストの多くは

 

沢山損をしているんじゃないでしょうか。

 

 

損をしているから、何が本当の徳なのかがわかるのだと思います。

 

 

 

例えば、極端な例ですが

 

 

買ってきた魚と、自分で釣ってきた魚はどっちが得か

 

 

そんなの、買った方が安いに決まっています。

 

 

釣りは産業ですから、竿、リール、糸、針、重り、ルアー、餌、タモ網、クーラーボックス、車、ガソリン、食事代、、、、と

 

 

まあ竿一本から想像できうるものが無数に必要条件となってうまくリンクしています。

 

 

竿一本では、一匹の魚すらとれない仕組みになっています。

 

 

 

ミニマリズムでは、こういう産業を見抜いていきます。

 

 

 

 

買ってきた魚は一匹200円で、調理器具があれば光熱費以外はかかりません。

 

 

そして、それが生活する上で最高の環境ということになります。

 

 

 

 

他にも例えば

 

 

自炊が得か外食が得か

 

 

持ち家が得か賃貸が得か

 

 

 

今の時代は、共働きですから持ち家の30年ローンで千万以下の持ち家を資産と見積もるようです。

 

 

 

ですが、ミニマリズムの視点では、それは果たして最高の環境なのかと考えます。

 

 

 

30年ローンがあればメンタルはいつも切迫していますし、ローンがそもそも資産になるのは、すべての負債を払い終えた時が資産と考えるのが自然ではないでしょうか。

 

 

 

不動産業界に乗せられて、不景気でも建築業界と連携してバンバン安い一軒家が建てられています。

 

 

 

アメリカなどの建築用の輸入木材は高騰しているので、日本の木材がバンバン伐採されているそうです。

 

 

 

それで、私のシンクロなのか近いところの雑木林や森の一部がバッサリと林業のチェーンソーによって広葉樹のみが切り倒されて、そこだけが剥げているのを、この頃よく見るようになりました。

 

 

それにより、様々のインフラが利用できるようになりますが、渋滞も発生し、森林が減ることで凶悪犯罪者やブラック企業が増えます。

 

 

生態系というのは独特で、自然淘汰というのがあります。

 

 

ある池で一定以上繁殖した外来種は、10年位で減っていき、勝手にもう自然消滅していくのだそうです。

 

 

ブラックバス、ライギョ、なんて世間を一時期騒がせていた外来種も現在ではもうほとんどいなくなっています。

 

 

 

しかし、駆除するために一定量の外来種を捕獲しまくるとどうなるか。

 

 

もちろん減るには減りますが、一時的なものです。

 

 

 

魚は危機を感じて、一定数まで増えるそうです。

 

 

刈り取るから増えるということは、魚に限らず全般に言えることで

 

 

 

白髪を抜くから増える、みたいなことなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

話は逸れましたが、

 

 

ミニマリズムであれば、必ず要るものと別に要らないものを、欲しいなと思った時点でふるいにかけて見極めるのが大事です。

 

 

欲しいが必要に変わる瞬間、人は衝動買いをするのだそうです。

 

 

でも衝動買いをして、使わなくなって後悔するというループの、初期のプロセスを踏まなければ、ミニマリズムには至らないでしょう。

 

 

 

同じことが、損得の感情にもいえると思います。

 

 

 

沢山の損を自ら経験しているからこそ、損得ではなく人徳の方を見極めることができるようになっていくのだと思います。

 

 

 

 

私たちは平等に、食事を毎日繰り返していますが

 

 

食事に必要かどうかとう点で、私たちの損得は生まれます。

 

 

 

 

 

 

重力で落ちる前のりんごは、樹木にくっついて空中を漂っているように見えます。

 

 

 

しかし、実際見ている人が「食事の対象」として見ている時、重力がかかった腕で掴み取り、落下します。

 

 

落下しなかったりんごを見てみると、やはり手で掴み取ったから落下したのだとわかります。

 

 

なぜ手でつかむ必要があったかというと

 

 

空腹を満たすため、あるいは空腹のときのために蓄えておくために

 

 

必要だと思ったからです。

 

 

 

同じようなことが、生活のなかに山ほどあります。

 

 

私たちは、重力を操ってりんごを

 

無意識に盗んでいる、ともいえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

空中を漂っていただけの天体や絵画が、シンボルや数字に見えたりすると、そのつやだけを見て無理やりに生活にとりいれようと試みます。

 

 

 

 

この時、無意識の「必要化」が自分の見ている物をぶんどります。

 

 

 

 

現実化を試みる行為が招いて、手に入れた後に「不必要」となって後悔するというのは、そういうことだと思います。

 

 

 

 

 

これを、時間の質量化といいます。

 

 

 

空中に漂うだけの時間を、未来という身勝手な額縁に入れていませんか?

 

 

 

 

時間の糸をたぐりよせて高速で巻き取って、布を紡いで、

 

死に衣装を縫って、というカルマ。

 

 

 

 

これをクンダリーニ症候群といいます。

 

 

作家や、アーティスト、水商売や占い師などの職業病といわれており、明らかな精神病として精神病棟を潤わせています。

 

 

 

 

精神病者を増加させるために、水商売があるとしたらどうでしょうか?

水商売は否定しませんが。私はアンチではあります。

 

 

 

何世代も魂が学習しないで輪廻転生して、

 

ホスト通いをして、借金で毎回人生を自殺をしているようなもんです。

 

 

 

 

きっと輪廻転生を、妨害している産業があります。

 

 

 

そういう産業に限って、何代も自殺をしている輪廻転生の妨害の悪霊発生器みたいなものを売りつけています。

 

 

 

 

そういう産業もある、ということでしょう。

 

 

 

 

 

 

それでクンダリーニは喜ぶと思いますか?

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えていました。

 

 

 

 

 

ありがとうございました。