11月になりました。
長い夏でした。暑い夏でした。でもすっかり紅葉してきました。
これからは太陽の季節から、一転します。
10月の神無月というのは、神道的には神さまのいない月という事になっています。
天体の運動や、それから人体への影響、太陽活動の縮小という大きな節目にあたる10月。つまり終わりの月が神無月。
それが11月になると一年の始まりを暗示しています。
始まりの月が11月。
そういう解釈もあるそうです。
先日、ホワイトイーグルの霊訓を読んでいたところ、気になる説がありました。
あの世とこの世を結ぶのがシルバーバーチをはじめとする、白色同胞団ホワイトブラザーフッドといわれています。
この辺りは、霊界の常識とのことなので、気になる方は是非お調べください。
そこから自力で深めていく必要があるので、素人さんにはお勧めしません。
好奇心というのはいつも残酷なもので、観なくていいものも観てしまうわけですが、あくまで自己責任でお願いします。
私が気になったのは、「あの世が現実で、この世はあの世から見た仮想空間でしかない」という件です。
このくだりはいってみれば、相対性理論なんですが、アインシュタインがそれを自覚していたかを証明するには何年かかるか知りません。
各界の賢者たちが、この仮想空間としての人間の使命やなんかについて、それこそカトリックのコンクラベじゃないですけど根競べしてるのではないかと思います。
その流れでいくと、ニューエイジ、スピリチュアル、錬金術というのは仮想空間内での人間の本来の労働というか、連勤術なのかもしれません。
じゃないと、これだけの精神世界を証明しようという情熱やなんかは、一体どういう役割があるのかって議論になってしまいますから。
私は、時間との付き合い方なのだと思います。
何に時間を使うのか
時間泥棒と呼ばれている人たちがいます。
重要なことをほったらかしにして、忙しいことは良い事なのだという偏見を人々の中に植え付ける。
無限の考え方の中から、ただ一つその考え方だけを良いものとして選んで一生を無駄にしていいものでしょうか?
いやいや、他にも良い選択はあるはずです。
シルバーバーチは、この仮想空間の最大の苦しみを分けました。
「貧しさ」、そして「悲しさ」
それを解決するための、イエスキリストや預言者たちの降臨があります。
神の摂理の完全な実践が、イエスキリストによって説かれているといわれています。
しかし、8割以上は教会によって書き換えられた歪んだ内容になっているそうです。
どこをもってイエスキリストを神の摂理の実践者かを決めるのは、私たちの読解力に委ねられている、ともいえます。
仮想空間を世渡りするルールというか、バランス感覚というものは年長者よりも、幼児の方がよく知っているというのも納得がいきます。
霊的には幼児が上司なのですから、間違っても幼児に、タイムイズマネーな教育をしないというのが、私たち大人の最低限のモラルなのではないでしょうか。
そんなことを考えていました。
さて
先日新しいアルバムが出ました。
カバーとオリジナル数曲を含む33曲入りのカバーベストアルバムです。
33曲で2500円もしないのはデジタル時代だからです。
シングルも出ました。
禅の最大の教えである「空くう」の思想を歌っています。
それで告知は終わります。
ありがとうございました。
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