社会学と神聖について

 

 

 

春は変態の季節、といいます。

 

春の陽気に誘われて、変態たちは一年で最も多くなります。

 

ちょうど、花粉がそうであるように

 

冬眠から出てきます。

 

 

 

変態ブログの更新です。

 

 

そのブロガーの表現の自由、それは変態な読者と同じ位のものです。

 

まず読者が変態じゃなければ、変態ブログを読まないでしょう。

 

 

変態に波長を合わせているあなた、時間は貴重ですか。

 

 

そんな変態のあなた、2023年もそれでいいんですか。

 

 

恐れているものは何ですか。

 

 

今日は、私が今一番恐れている事についてのコラムです。

 

 

 

2022年からの流れで、天体配置が大きく変わったのを感じます。

 

天体からの影響はよりクリアーになりました。

 

 

昨年は、アルバムを出したと思います。

 

数か月を数字で見たとき、アルバムチャートのトップ50に入ったそうです。

 

欧州、アジアなどでヒットしました。

 

 

世界中の人々がなんとなく聞いているアルバムになっております。

 

 

そんな白痴、じゃなくて告知です。

 

 

 

 

Youtubeにアップしたカバーをアルバムにしただけなんですが

 

 

何かを形にすることは、次の目標をよりクリアーにします。

 

 

欠点や批判を真摯に受け止めれば、改善されていきます。

 

 

精度が増していきます。

 

完成度、ボリューム、技術、そんなことどうでもいいわけです。

 

 

心から言いたいことを言えているかどうかではないでしょうか。

 

 

 

そしてまた批判に晒されて、磨かれていきます。

 

 

そしてまた階段を上ればいいわけです。

 

 

 

 

タロットならば、0の愚者でしょうか。

 

 

 

情報化=批判されないという事を恐れています。

 

 

ななんと、

 

いいね数、フォロワー、すべてヤフオクで売られているじゃないですか。

 

 

 

な、なんて恐ろしいんだ

 

 

大都会の真ん中ですら、人々は画面の中を信じて

 

 

自分の取り巻き、イエスマンを集めて虚栄心を満たすのが

 

 

現代の流行色なのか。そうか。かーっぺっ

 

 

数字のゲーム性については前のブログにも書きました。

 

 

 

 

さて、3月です。

 

 

全惑星順行期間です。これは4月までのこと。

 

 

 

それなりの準備が必要です。

 

 

自分の属しているエレメントの中で、何を必要とされているのか。

 

 

誰に具体的に奉仕するのか。

 

 

具体的であればあるほど、波動はスムーズになります。

 

 

 

例えば、チームワークの人なら

 

 

チームの中での、その人のポジションがあると思います。

 

 

円滑なコミュニケーションは、水星の影響ですが

 

 

水星は太陽の子供ですので、すべてタイミングに支配されています。

 

 

太陽の側を離れて、水星がタイミングを決めるという事はあえません。

 

 

 

水星の知性やすべての対応力が、太陽の巨大なエネルギーを基にしているからです。

 

 

 

 

なので、やみくもに月の周期に囚われていると

 

太陽光発電が止まります。

 

 

 

今は立春、最も太陽光発電が弱い時期です。

 

 

 

何をするにも、植物たちは時期を見計らっています。

 

 

 

太陽からのエネルギーが全てだからです。

 

 

今見えているビジョンは、あまりせかせかしないでください。

 

 

水をやりすぎれば、根腐れで死んでしまいます。

 

 

水が生命の母なら、太陽が地球の父です。

 

 

 

白黒つけないようにしましょう。

 

 

 

今は全土が雪に覆われているため、ロシアは軍事縮小です。

 

 

ロシアでは、雪が解けて地面が見えると「黒」く見えることから

 

 

黒は太陽の象徴とされ、ロシア人の正教会思想を支えています。

 

 

 

ロシアとウクライナの茶番は、今回は「プロテスタント」対「ユダヤ系」のマッチポンプだといわれています。

 

 

 

世界の富の殆どを握るユダヤ系が、小国目当てに戦争するわけがないからです。

 

 

元役者の首相を起用したのも一つのステップです。

 

 

侵略の歴史には、常に裏があります。

 

 

 

TVのリモコンがここにあります。

 

 

 

 

TVをつけると、プロのTVコメンテーターが仕事をしています。

 

 

 

彼らの仕事は、「そんなことどうでもいいよ、勝手にしやがれ」

 

 

というような、明日には忘れているような人々の暗い事件を

 

 

 

難しい表情をつくって「それとなくお茶の間が退屈しないような内容に変換する」ことです。

 

 

 

 

多分私が有名人で、TVに出てコメントを求められたら。

 

 

知るかばか野郎、何ていえば

 

 

まず私を含むプロダクションの関係者すべての首が飛びます。

 

 

そして放送局がクレームの嵐。

 

 

 

放送局すら、経営が傾いて大きな裁判沙汰となります。

 

 

 

そういう世界を芸能界というのではないか、と推測しています。

 

 

小さな画面の4角形の中では、自由に発言できません。

 

 

 

炎上と、情報リテラシーの時代です。

 

 

 

求められているコメント、というのがあります。

 

 

 

 

知るかばか野郎、では古い。

 

 

 

そして今日も元役者の首相は、そういう仕事に励みます。

 

 

 

有名人になって、アドリブの生放送で沢田研二の勝手にしやがれ、という歌を歌ってみたいものです。

 

 

 

 

 

そんなことはどうでもいいのでTVは消します。

 

 

 

 

ここで残るのは、何が反社会的か?という疑問です。

 

 

 

 

 

政治家が、カネが、先生が、警察が、etc

 

悪が、善が、手を取り合っているではないか?

 

 

これが談合社会というなら、社会的な悪とは何か?

 

 

コミュニティへの共感が、ますます他者排除社会を作っています。

 

 

排除すれば、反社会的なグループは減るのか、どうか。

 

 

警察が多ければ、事件が増えます。

 

 

 

これが移民の問題であり、差別の問題であり、優劣の問題です。

 

 

 

世界の警察といわれる国も、イラクを仮想敵国とみなしたのは記憶に新しいですが

 

 

コロナの方が深刻な社会悪で、いつのまにやら警察ごっこも終わっていました。

 

 

 

このCOVID19の騒ぎの後に、警察ごっこは再開するでしょう。

 

 

2024年の2月ごろでしょうか。

 

 

多くの星読みは、そう推測するのではないでしょうか。

 

 

 

反社会的なモラル欠損、というのは子供でも分かることです。

 

 

 

そういうものに対しては、私は根本的に誠意がない存在とみなします。

 

 

 

根本的に誠意がないのだから、敵とみなす意味があるのか?

 

という問題にあたります。

 

 

それがいわゆる、フランス人的思考といわれています。

 

 

 

強国に囲まれたフランスですが、隣国を敵国とみなしていません。

 

 

ノブレスオブリージュ、正義感のプライド溢れるイギリスのような高貴な精神もありません。

 

 

 

 

隣国はあくまで隣国であり、敵と味方を分けているのはエゴなのだと。

 

 

 

だって、正義感はそもそも言い方を換えれば、お節介です。

 

 

 

映画ではよく、復讐に燃えるのが正義なのだ、という描かれ方をします。

 

 

 人の脳は、人の不幸を見るのは退屈じゃない論理構造だからです。

 

 

 

でも、相手に誠意がないなら本当に復讐は正義でしょうか?

 

 

 道端で歩いていたカラスが襲ってきたら、殺してしまうか。どうか。

 

その人は殺せないから根に持つとします。

 

さらに別の日に、カラスの親子が襲ってきて弁当を奪いました。

 

市役所にいって、カラスを駆除してもらいました。

 

 

そして、リベンジ成功。でも、それは本当なのか。

 

 

襲われたのは、その人がカラスの縄張りに入ったせいであり

 

発情期のカラスは凶暴だと知らない無知のせいです。

 

そして後日また襲われたのは、同じ道を通るからであり

 

家族のカラスの食料となる、弁当を密封しないからです。

 

 

そうして、その人の正義は無意味と化します。

 

 

 

 

自分の中の敵を仮想するのが正義なら、正義の意味がなくなります。

 

 

そりゃあんさん、親の仇だったら誰かれ構わず殺していいのか

 

 

って話です。

 

 

誰かの想いを背負って、社会を正そうとするのは正義ではなくなります。

 

 

 

鬼滅の刃は、ただの幼稚な殺戮の映画になります。

 

 

 

 

でもって、鬼たちの方は少なくともフランス人的な思考のようです。

 

 

 

 

自分に都合のいい人を味方にし、都合の悪い人は根本的に眼中にない。

 

 

 

そしてフランスは独立を宣言しました。

 

 

それが何世紀か前のことです。

 

 

 

聖書では、ただただ、根に持つなと言っています。

 

根に持つくらいなら、死ねよと言っています。

 

 

それほどの許しの倫理を、紀元前に描いています。

 

 

 

敵と味方の概念が、根本的な誠意の有無、というのがわかります。

 

 

この辺りは、昔のブログにも書いています。

 

 

フランスイズザ、宗教社会学マニアです。

 

素人リベンジ罰当たり千万なのが、わかります。

 

 

 

少なくともナチスにはそれが欠けていたでしょうし、海を挟んでフランスはイギリスとは言葉が通じませんでした。

 

 

 

 

日本を客観的に見る、あるフランス人がいました。

 

 

 

日本の場合、謝罪こそが誠意という認識だと知ったそうです。

 

 

 

 

とにかくごめんなさいと誤っておく。

 

 

 

それがおしゃれなのだと認識したそうです。

 

 

日本人は、他人から搾取したりしようとしない民族でした。

 

他者はいつも味方で、良い人で、平たい顔属でした。

 

 

 

フランスの場合、労働は奴隷のする卑しい事でした。

 

 

 

日本と真逆のようです。

 

 

フランス人にとって謝罪は誠意ではないので、ぶつかってもパルドンで終わります。とてもドライで、大人でおしゃれです。

 

 

すべてにおいて謝罪が搾取と結びついており

 

 

こちらにとって不都合なものだから

 

 

本当に悪いなと思っていないなら謝罪しないでいい

 

というのがフランス人の教育です。

 

 

 

確かに、悪いと思っていないのに謝罪されたら、された側は不快です

 

 

 

 

相手がされたら嬉しいことをし、自分がされたらいやなことはしない。

 

 

 

それが根本的な誠意ある姿勢ではないかと、考えていました。

 

 

 

 

従って、労働観に根本的な誠意が結びつくのは、日本人ならではの思考ではないでしょうか。

 

 

 

日本はかつて、上様という神聖な存在のための労働が美徳でした。

 

 

中国も似ていますが、論語を作った中国にはそんな労働観はないといわれています。

 

 

論語のレトリックはいつも、ルサンチマンなのだといわれています。

 

 

国家と民のあれです、巨大な格差が論語を生んだそうです。

 

 

中国にはそもそも神聖の概念があるのか、どうか。

 

 

 

社会学には神聖さ、それが深く関係しているようです。

 

 

 

 

 

 

魚座土星期間に入るので、「神聖って何?」というテーマです。

 

 

来週位から満月とともに始まりますので、どうなるのか。

 

ならないのか。

 

 

土星については過去のブログからもう一度見直すことができます。

 

 

 

 

長くなってしまったので

 

労働観についてはまた次回。

 

 

 

 

今日はそんな、社会の倫理についてのコラムでした。

 

 

 

 

 

ありがとうございました。