平均化と売り上げについて

 

 

11月4日に、土星逆行が終わりました。

 

 

半年くらいでしたが、あちこちでてんやわんやしていたので、ちょうどいいタイミングでした。

 

 

 

 

 

この前、アルバムが1位になって、シングルと3冠制覇(カバーなので売上は契約更新料で全て消えています。)という事を書いたばかりですが、思うことがあったので書きたいと思います。

 

 

 

音楽にしても、日常のおかずの材料にしても、突き詰めて考えれば

 

 

すべての消費行動は、感情的なものだといわれています。

 

 

 

いやいや、一日のカロリーの計算をするんです。理性的でしょ?

でも、その背後には健康でありたいと願う欲求があります。

 

 

 

好きな音楽の、映画のサブスクを買う。合理的でしょ?

でも、その背後には世界はどうであれ私はこうでありたい、こんなどうしようもない世界でただ一人私だけはこれをこう聞くのだ、というネガティブな感情があります。

 

 

 

 

ネガティブな、というのは、それを所有し消費し続けていると、小さな消費でもいつかは大きくなって、私だけの所有ばかりに執着してしまうからです。

 

 

 

結果、小さくまとまった自分だけの世界というものに閉じ込められて、うつ病になってオーバードーズしたりなんかします。

 

 

アーティストに限らずですね。

 

前にも書いていますが、クンダリーニ症候群とよく似ています。

 

 

 

 

よって、すべての消費行動には、保守的になる流れが含まれています。

 

 

 

 

優秀な企業ほど顧客を管理し、消費者を上手くリサーチしています。

 

 

網の目の糸を細かくすればするほどに、無限という自分を、蜘蛛の巣のようにからめとって、小さく自分で閉じ込めていることになります。

 

 

 

よく、趣味でやってたことが仕事になると、実益を伴うようになると経営不可能に陥る、というやつですね。

 

 

 

経営が上手くいくためには、こうしたほうが良い

という、第三者の絶対的なレギュレーションの意見を聞き始めると、大体おかしくなります。

 

 

その仕組みについての詳細はこうです。

 

 

 

 

私たちは良く知られているように、誰かに承認されて喜ぶのが人間の欲求の大きなところですが

 

 

承認されることで、あなたのフォロワーは増えます。

 

 

 

そしてフォロワーや、サブスクライバーから常にあなたは期待をされていくことになります。

 

 

 

期待をされるという事は、いつも売れるもの、誰もが買いたいと思うもの、つまり売上を第一にしようと思うのが普通ですね。

 

 

経営する、というのは実はお客さんの要望に応えることだということが言えると思います。

 

 

言い忘れましたが、そこにあなたの個性はいらないということです。

 

 

 

 

養老孟子さんが言っていましたが、個性の定義については

 

 

DNA的に同じ人物は2人と存在しえないということだそうです。

 

 

 

すべての消費行動が、違いを生み、交渉を生み、商品を生み出します。

 

 

商品化されていくことはつまり

 

皆が欲しいと思うものを作ることでした。

 

 

 

あなたはすべての情熱を、エネルギーをみんなが欲しがるものを作ることに、ものじゃなければモテる理想像というものに、注入していきます。

 

 

 

ちょうどKPOPのアイドルが、そうであるように。

 

 

 

そしてそれは、イコールベーシックなものにしかならないということでもあります。

 

 

売上の探求イコール、平均化されたものになることです。

 

 

 

 

何年かして、気づけばもう数年前に奇抜だったアイドルは巷に溢れています。

 

あれ?そこにもここにも、同じ顔がいるぞ?

 

私は一体?大量生産のタヌキ型ロボット?WHY?

 

 

それが保守的になることの最大のリスクといえます。

 

 

 

別に、生きるための技術の商品化が悪だなんて言いません。

 

 

でも、単に夢を見るのではなくて、スクールに通うだ美容整形するだの大金を払う前に本当に将来的にそれ(横並びの同じ顔)を望んでいるかどうか、再考する必要がありそうです。

 

 

 生産性を善といえば、才能はスポイルされるということです。

 

 

 

 

例えば、かつて日本のファッション業界ではVANというアイビールックだけが洋服、といわれていました。

 

 

 

 

そしてそこを見抜いたDCブランドいうものがありました。

 

 

 

VANなどの有名ブランドは百貨店だと、中間業者にとられて高価になってしまうので、毎日バーゲンをやりすぎて結局バブル期には破産。

 

 

 

ですがDCブランドは自社生産です。

 

 

中間を介さない経営というのが新しかったころの話です。

 

 

 

音楽でいえばインディーズでしょうか。

 

 

 

かつて日本のファッションというのはブランドであり、今のような安物のノーブランドは問題外でした。

 

 

 

ですが、アーティストなどのカリスマが着る衣装や、斬新なディテールをモチーフにしたものなどは、大衆が黙っていませんでした。

 

 

大量生産ではなくてもかっこいいものは、いいのだという流れです。

 

 

 

パリコレが今のようにハイブランド化する前は、カリスマのセレブやアーティストが使うものを作るDCブランドが神格化されていました。

 

 

ヨージヤマモト、コムデギャルソン、ケンゾー辺りでしょうか。

 

 

 

 

これらのDCブランドのいいところは、平均化されたものではないということです。

 

 

 

営利目標ばかりを追って、誰もが欲しがるものばかりを追求していると、鋭利な部分が消失していきます。

 

 

 

結果、創造的な活動のブレーキになっていきます。

 

 

 お客さんのため、とうたっているのになぜかお客さんはどんどん離れていき、破産します。

 

 

完全に商売を見抜かれているんですね。

 

 

 

 

生き残るには、デビッドボウイが大衆受けの作品を生涯拒んだように、常に前衛的な創造活動をしていくしかありません。

 

 

 

 

平均化された商品が、一方的に流れてくる現在のマーケットは、すべて終わっています。ホリエモンにいわせると、オワコンです。

 

 

TVにしても、幼稚園のお遊戯会が、大人になっているのにまだ続いているようなアイドルのチャンネルしか映らないのは、平均化された芸能の最悪の品質悪化の結果です。

 

 

 安いからといってお笑い芸人ばかりを寄せ集めて、自分で言って笑っているようなトークショーには、常に放送する側の失敗経営をみます。

 

 

 

 

稀に見る最も高価なダイヤでも、カットが綺麗だからといって研磨しすぎてカットがなくなった状態というのでしょうか。

 

 

丸になったところで、その辺の樹脂やプラスチックのガラスと誰が見分けられるというのでしょうか?

 

 

 

 

つまり石や、木材、ガラスや工芸など、材質を売りにした商品も、その辺りの平均化の品質悪化の結果です。

 

 

 

ストレスが多い国ほど、そういうハンドメイドが売れるという皮肉に包まれています。

 

 

 

 

優秀な企業ほど、上質さや希少さでアプローチをしたがります。

しかし、大量生産には変わりありません。笑

それはつまり、こちら側からは絶対見抜けないマジックスクリーンのマーケットで感情的に消費活動をするわたしたち一般庶民を、完全にバカにしています。

 

 

 

 

素人には絶対見抜けないのだから、数字で裏打ちされたものを一方的に提示する。

 

そういう経営者を、私は嫌ってほど見ました。

 

そしてそれが商売であり、人間の作る1つの社会でもあります。

 

なんというか、礼を失している人に覚える感覚です。

 

 

なんかおかしな人は、なんかおかしいものです。

 

 

それら保守的な人に合わせる必要はないと思います。

 

 

 

 

 

 

ユーチューブ、音楽配信でも同じことは言えます。

 

 

 

サブスクのアップルミュージックでランダムに流れる洋楽に、感動的なCDのようなエモーショナルな体験はありません。

 

 

 

 

 

 

 

私はアートや教育の役割は、2つあると思います。

 

 

 

1つは、一般とは全く違う角度を提示して、科学の進歩に役立てるという事。

 

 

もう1つは、私たち個人の一人一人が良いものは良いのだ、といえるような空気を作る事。

 

 

 

 

 

 

偽物だらけの現実で、ストレスなく生きたいものです。

 

 

 

 

 

 今回はそんなブログでした。